幼い子どもは、

自分にいつも優しい笑顔で接してくれ、

自分の言うことを何でも聞き入れてくれ、

無条件に許して受け入れてくれることで

「愛されている」と感じます。

 

逆に

厳しい表情で叱られたり

自分の言うことを聞き入れてくれなかったり

嫌なことをされたり言われたりすると

「愛されてない」と感じます。

 

それが

だんだん成長して大人に近づくと

表面に現れない愛を見いだせるようになります。

 

厳しいことを言われたり叱られたりしても

「私のためを思って言ってくれるんだなあ」と思えます。

 

愛する相手が不機嫌になったり突き放したりしても

「だからといって愛が無くなった訳じゃなく、

愛してたってそういうことはあるさ」と受け止められます。

 

分かりやすく愛情を示してくれなくても

たちまち不安になったりせず、信じることができます。

 

ところが、

幼少期に親にたっぷり愛されるべき時に

ありのままを認めてもらえず

能力以上のことを要求されていた、

褒めてくれることがなく、いつも

否定されたりダメ出しされていたという場合、

 

「自分はダメだ」「私は悪い」という

信念が根底に植え付けられてしまいます。

 

すると

相手に分かりやすく愛してもらえないと

「愛されている」と感じられません。

 

少しでも不機嫌になられたり

きついことを言われたり否定されたりすると

たちまち「嫌われた」「見捨てられた」と

傷ついてしまい、その奥にある愛情には

気づけないのです。

 

そして不安と恐怖から、

相手を攻撃してしまいます。

 

さらには

自分がどんなに嫌なことを言っても

怒ったり攻撃したりしても、

相手は絶対的に理解してして許してくれ

優しく愛してほしいと願っています。

 

つまり

相手に神のような

完璧で無条件的な愛情を求めてしまうのです。

 

でも、

相手も完璧ではありません。

攻撃されたら傷つくし、

嫌なことを言われたら腹も立ちます。

 

寂しさや不安から怒って責めていれば、

相手は「もうやってられない」と

背を向けたくなります。

 

相手にしてみれば、

一生懸命愛しているのに、いつも

満足してもらえず怒られるので

「自分じゃダメなんだ」と挫折感を味わうのです。

 

愛しているがゆえに、辛くなるのです。

 

なのに、

相手の気持ちは分かろうとしないで

「自分が愛されない」ことばかりに

拘ってしまいます。

 

相手が傷ついて離れたくなっているのを

「私が嫌いだから見捨てるのね」と

勘違いしています。

 

自分が勝手に被害者になっているのです。

 

愛していても、嫌になることがある。

愛しているからこそ、嫌になる。

 

愛していても、キツいことを言うこともある。

愛しているからこそ、キツいことを言う。

 

「私は愛されない」と固く信じているあなた・・

 

どうか、「自分」という穴から出て

広い世界から見てみましょう。

 

「愛がない」から「愛がある」に

前提を変えてみましょう。

 

あなたの周りには愛があふれています。

愛を受け取ってくださいね。

 

 

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